2011年 07月 22日
2011.07.22 金沢城 「菱櫓・五十軒長屋・橋爪門續櫓」
金沢城は加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院である「尾山御坊(おやまごぼう、または御山御坊)」であった。寺とはいうものの大坂の石山本願寺(大坂御坊)と同じく石垣を廻らした城ともよべる要塞でもあった。織田信長が一揆を攻め落とし、跡地に金沢城を築いて佐久間盛政を置いた。後に盛政が賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉により滅ぼされ、秀吉は金沢城を前田利家に与えた。利家は文禄元年(1592年)から改修工事を始め、曲輪や堀の拡張、5重の天守や櫓を建て並べた。兼六園は、加賀藩4代藩主前田綱紀が金沢城に付属してつくらせた大名庭園である。
橋爪門と續櫓
菱 櫓
河北門
三十間長屋
by kappa-999
| 2011-07-22 22:07
| 金沢城