ブログトップ

徒然に浮世の憂さを戯言に

カテゴリ:大洲城( 2 )

2007.11.03 大洲城跡 ②     

       

f0140087_18155450.jpg
       

                             写真左は台所櫓、右隅は高欄櫓 (二の丸跡より)



   江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。
   伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していた。
   また、明治維新後から現在にいたる地元住民の城郭への保護活動と、平成16年(2004年)に
   寄付によって完成した往時を出来る限り忠実に復元した4重4階の天守も特筆すべき点である。
   江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に
   指定されている。    (Wikipediaより)




天守閣内部


f0140087_18255637.jpg
f0140087_18262667.jpg

f0140087_18301868.jpg

f0140087_18304778.jpg

f0140087_18285256.jpg

                                                    



高欄櫓


f0140087_1837897.jpg





台所櫓


f0140087_18353149.jpg





大洲城の石垣


f0140087_184252100.jpg
f0140087_18431337.jpg

f0140087_18443978.jpg
f0140087_18445468.jpg


More  中江藤樹の記念碑
by kappa-999 | 2007-11-03 00:00 | 大洲城

2007.11.02 大洲城跡 ①      

      

大洲城の歴史



f0140087_0144642.jpg




大洲城は、鎌倉時代末期、伊予国の守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城(じぞうがだけじょう)が始まりといわれています。
劇動の戦国時代を経て、小早川隆景が伊予を平定した後、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治が相次いで城主となりますが、
このころ4層4階の天守を中心とした本格的な近世城郭に整備されたのではないかと考えられています。

元和3年(1617)米子から加藤貞泰が入城しました。以後、明治維新を迎えるまで加藤氏が6万石の城主としてこの地を治めました。

4層4階の天守は、明治期の古写真や「天守雛形(ひながた)」と呼ばれる江戸期の木組み模型など豊富な資料をもとに平成16年(2004)に木造で復元したものです。重要文化財の台所櫓、高欄櫓とL字型に多聞櫓で連結し、複連結式天守と呼ばれる構えを成しており、これら全ての建物を観覧することができます。        (大洲市公式HPより)




大洲城案内図


f0140087_0172311.jpg
 




大洲城天守閣

                                 
f0140087_025567.jpg

f0140087_0275175.jpg

f0140087_0341331.jpg
 
f0140087_0374564.jpg





天守閣より大洲市内を望む。


f0140087_0514874.jpg

f0140087_052247.jpg


      
     
      
                        
by kappa-999 | 2007-11-02 00:00 | 大洲城

つれづれに浮世の憂さを戯言に                                        彼岸に渡るまでの暇つぶしと気晴らしのブログ