2010年 09月 23日
2010.09.23 寂れてしまった玄関港
かっては、徳島の玄関口として賑っていた小松島港。昔の賑わいも夢のまた夢。
当時は、関西方面に向かう交通手段は小松島港が一番便利だった。関西汽船の徳島→神戸→大阪の航路と南海汽船の徳島→和歌山→難波の二つの航路があった。物流の発達や自動車の増加はフェリーに替わり、客船だった関西汽船航路はいつのまにか廃止になっていた。南海汽船はフェリーに替わったが、大鳴門橋・明石海峡大橋により本州と地続きになり利用客も減少し、徳島港に移ったために小松島港は衰退してしまった。
この場所に国鉄「小松島港駅」とバス乗り場があり、船の発着に合わせて大勢の乗客で賑った。
シャッターが閉まり店を閉じた土産物店。
関西汽船の乗り場だったが、今は貨物船が停泊している。
南海汽船の乗り場が、海上保安庁の巡視船の港に。
停泊中の船
一文字灯台
対岸は海上自衛隊和田島基地
学生時代はほとんど南海汽船を利用し上京・帰省していた。まだフェリーになっていな
かったので船室は船底(今、車が積み込まれている場所)。
船賃は忘れてしまったが、特等室、一等室、二等室、特二等室、三等室に分かれていた
(特二等室以上が甲板よりも上にある部屋)時代だった。
海を見るのは久しぶりのこと。気分が晴れる。海はいい。
売り切れでも変更できた不思議な乗船券
4月が入社式だがなぜか私の選んだ会社は3月から実習が始まった。友人達は学生時代
の最後を楽しんでいると言うのに・・・・・
卒業式があるので3日間の有給休暇をとって出席。帰途、大阪港に着いたら徳島便は濃霧
のために欠航。翌日が出勤日だから時間はかかるが高松経由にした。徳島に帰る乗船客が
迂回したため満員、特二等もとれず船底の三等。夜行便での三等はキツイが翌日出勤だか
ら仕方がない。
母親も同行していたのだが、乗船すると母が近くにいた船員に体の調子が悪いから特二等に
変更してといって船員の手にチップを握らせると特二等に案内してくれるではないか(当然、特
二等の料金を徴収にくる)。相部屋だったが、おかげで寝不足気味だが疲れることもなく出勤
できた。
新婚当時だが、旅行の帰りにカミサンの調子が悪くなり窓口で特等室の乗船券を買った。ツイ
ンのベッドがあり、大きな応接セットのある広い部屋だった。カミサンをベッドに寝かせて寛いで
いると船員が中年の夫婦を連れて入ってくる。相部屋である。特等室も相部屋になるか
当時は、窓口で売り切れていても乗船して船員に頼めば等級を変更できた面白い時代だった。
また、船底の三等では船員が貸し毛布を持ってくる。確か10円だったと思う。
(阪神方面への高速バスができてからは船に乗ることはないが、いつの頃からか忘れたがJRも
船も等級がなくなり、船も客船からフェリーに変わっていきグリーン船室と普通船室の区別だけ
になっている。)
by kappa-999
| 2010-09-23 18:55
| 旅・ドライブ