2016.08.23 ホームカミングデーへの招待状が届く。

今日、学生時代の友人に名産の「スダチ」を送る。
東京と私の住む田舎町とは遠く離れているために、冠婚葬祭とか出張で上京するくらいで
しょっちゅう会う機会がない。
私が田舎町で、まだ、元気に生きているという証として毎年送っている。



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友人達と会う機会を作ってくれているのがホームカミングデーになる。
5年前も脊柱管狭窄症に悩まされていたが、若さと痛みに耐える気力があり出席した。
そして、痛みに耐えながらも弘前まで足を延ばした。
     
今は5年前の元気はない。
狭窄症は良くならず、50m歩くのが精一杯になっている。
痛みに耐える気力も失せかかっている。
     
これでは羽田空港のコンコースや駅の長いプラットホームを歩くのに難儀する。
大都会の雑踏の中をかいくぐるのは無理。
ホームカミングデーへの出席を諦めるしかない。
記念式典への参加はどうでもいいのだが、
友人達と久しぶりに会えるのを楽しみにしていただけに、残念。
      
      
諦めていたのだが、案内状が届くと無理してでも行こうかという気持ちが湧いてくる。
5月の沖縄旅行の4日間、足腰の痛みだけでなく狭心症の発作を経験しているだけに無理は禁物ということだろう。
沖縄旅行の時は息苦しさと胸痛がセット、
狭心症はステント治療したが、今も息苦しさに悩まされている。


     
(一昨日、風邪気味だったので迷医に点滴をしてもらい、不必要な4種類の薬を貰って帰り、抗生物質だけ飲んだのだが
点滴が悪かったのか、抗生物質と他の薬との飲み合わせが悪かったのか
息苦しささが酷くなり、歩くのがやっとの状態。
今日は少し良くなってきているが。
迷医との付き合いは長く、世話になり、人柄は良く、いい医者の部類に一応入るのだが
付き合いが長いだけに予断で診察しているし、
薬が多すぎる。
風邪で5種類も薬を出せば、どれかは効く。
そろそろ、かかりつけ医の変え時かもしれない。)
      
脊柱管狭窄症のリハビリをしているが、あと2ヶ月で痛みが緩和されればいいのだが・・・・・・
   
    
    
五年ごとに送られてっくるホームカミングデーへの招待状。
1967年が卒業年次だから、卒業してから50年が経ったいうことになる。
    
    
   
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光陰矢の如し。

いつの間にかaround seventyではなくアラ棺の年代になっている.。
友人と80才まで生きようぜと約束したが、
33年間で38回入院(うち全身麻酔4回)し、彼岸に3回渡りかけていたのだから
後、3年生き延びれば御の字のような気がしている。

「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」(太田蜀山人)と
60代の時は生に執着する気持ちが強かったが、
今もその気持ちはあるが、諦観の方が強くなってきている。

終活は40代の時からしている、いつ、彼岸に渡れるのだろうか。


人間とは己の生死を決められない不便な生き物だ。

理由はどうあれ自死は、生を全うしたとはいえないのでないだろうか。

サンマが言うように「人間、生きてるだけで丸儲け」ということ。    
   
   


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by kappa-999 | 2016-08-23 07:08 | ホームカミングデー